ひかりと、はだ
今井義行
あおーい空は、東海道線の、窓から見た。
真鶴あたりで
そんなふうに、旅もしてみた、けれど
かみさま・・・・・・、ときどき
こころを、うしなわせる、日を、いただけないか
こころって、おもたいよう。
そうしたら 思い出した
いっしょに呑んでいた友だちが
あるときに「トマトサラダ」を 注文して
ぽろぽろぽろぽろ 泣いた
友だちは「呑むと、おしっこがしたくなる代わりに
なみだがでちゃうんだ」と 言った
「下から出ないで上から出ちゃうわけ」
トマトサラダと涙の間には、横たわる気分が無いのだそうだ
ぼくは、「いいな・・・・」と 羨ましかった。
心と関係なく体から水が出るなんて
とっても 「ぐあいよさそう」
五月の朝 自宅で目がさめた
その朝はうすく 曇っていて
だからといって、なんていうことも、ない
テーブルにトマトを置いて
デジタルカメラで接写をしてみた
撮られた写真は 光沢の部分を中心に
真四角に トリミングした
もうトマトではない物にして
粗い画像へ移していき 効果をかさねたら
ある一点で ぼくのすきな
ひかりと、はだの、わけのわからない混在だった
凪の海へ話しかけている
今井義行
やがて世紀越えということになるのだった 新しい道を迎えたいと思い
煙草の火を念入りに夜に輝かせる きのうまで今井だった僕をなつかし
むこころからオレンジの鶴が飛びたつ どうしてもくずされていかなか
った部分だけがきょうの今井となって木片のように部屋に浮かんでいる
残っている部分とは遠くへ書いておきたい言葉である
地平線のむこうから鐘のひびきが這ってくる 僕のくちびるから「あけ
ましておめでとう」が滴りおちている しかくい炬燵のなかに独りすわ
って ゆびさきに 煙草はちぢれながら熱を伝えてくるのだが この炎
は ところで なまの炎なのだろうか 見えているものは のんびりし
た回想や空想のうえに滲みでてきてしまった 恐れや希望のかげではな
いのか ‥‥はつ雪のかるさの 灰が 化粧板へまとわりついている
「そのとき あなたは どのくらいまでの行為をされたのですか」
電話ボックスのそとに青空がひろがっていた夏に ボランティアの青年
は僕にやわらかく語りかけてきたのだっけ
「避妊具を付けてもらって 裂けることも また相手の射精もありませ
んでした」「ああ それなら まったく心配いりませんよ」
電話はきるしかすべはなかった 病気の心配はいらないし もしも体内
に相手の体液が置き忘れられていたとしても 星の誕生のように赤ん坊
が授かる可能性もない 誰とも知りあっていないので何も変わらない
職場でのしずかなる会議はまぼろしか「二十一世紀になったら きみの
部屋で 闇鍋パーティしよう」かおで笑ってこころで泣いてとは この
ことだ 実際に未来がやってきても街には廃墟なんてどこにもない 地
球には個室のドアが延々と配置されており 人間は蒲団のしたでそれぞ
れの魂をかくまっているわけだろう あ お あ この空間がさいごの
砦だという思いがあって 涙などしみついた この磁場は明け渡しては
ならないという信条すら持ってもいた ‥‥そして 伊豆高原
ビルマの政治難民のいとなむ民宿で僕は秋の光を味わいもした あれも
思いすごしだったのかな 落葉だ 「美味しいですか」
といくたびも尋ねられた ミャンマーではなくビルマなのですとこだわ
る運営者は 複数の男女から成りたっていて あれは ああいう形での
家族というものだったのだろう 帰れないことで 生きていくこととな
った人々の表情が ビルマ式チキンカレーで歓迎してくれて 「美味し
いですか」 言いたいことの核心が伝わっているかどうかを丁寧に確か
めてきたのだ 魚醤の香りに満ちたカレーは初めてだったので 驚き
しばらくは拒否があって しだいに内臓の膜からなかよくなっていった
夜明けを擁する豪雨のあと バスは迷宮へ進んでいくようにも思われて
スカイラインコースをじりじりと 伊東温泉郷の湯けむりを巡っていた
がらがらのシートのいちばんうしろからおばあさんが「海や 海や」と
声を泡だてたりしていた 早朝の海原は積乱雲のように盛りあがって日
光の鉄串が表面から幾筋も刺し込まれていた たとえば あの波のうね
りをガラスのコップに掬いとってみたとしよう 荒れた水は泥と水とに
分かれ泥のなかには水の粒が潜在し水のなかには泥の粒が潜在するだろ
う 普段の生活とは 上澄みの方ばかり見ることにして 潜在する泥の
粒も沈殿している泥の層もなかったことにしてしまうことではないか
煙草もおわってしまったので つぎの吸い口をつまんでくちびるにもて
あそんでみたりした さんざめく新宿の電器店で イヴに自分自身へ買
ったばかりの ワイドテレビのスイッチを ぽああと 点灯させてみる
「あけましておめでとう」 アナウンサーの声が花火のようにちらばっ
ている 走査線のかずが二倍あるという32インチのテレビは 部屋のレ
イアウトを歪めてしまうほど 銀のアルミやガラスで異貌をただよわせ
ている ブラウン管に縦横にならんでいる細胞に なめらかな絵の具の
ような色がながしこまれると 細胞と細胞のあいだの 地上波や衛星波
を映しだせないところに乳白の靄がたちこめそこには話しかけてもよさ
そうなしたわしさがあらわれている とてもきれいだ あいしそうだ
限りなくあるらしいチャンネルをリモコンであやつっていくと ブラウ
ン管のはしから「海」と感じられるものがおおきくせりあがってくる
瀬戸内海だろうか オキナワだろうか それとも どこか他所の星にひ
ろがる液状化した砂地であろうか ひびわれたまぶしいひかりのうえを
はしけのような影がたゆたっている もともとの風景はおそらくもっと
熱いお日様にちかかったのではないか たしかあったはずのもののすき
まへ乳白の靄は入っていって「海」という名のオレンジの「詩」を伝え
ようと 輝きだしてしまったのではないか 僕は ひだり手首とみぎ手
首をなにげなくまじわらせて わずかにこおりつく吐息のなかに 十文
字のかたちをひるがえしたりしている ワイドテレビのわくの比率を舞
台として ひだり手首とみぎ手首はふるふる歓びあっているアゲハ蝶の
ようにも思われたし きつく縛りあげられて背を向けあっているステン
ドグラスの兵隊さんのようにも思われた そして 小さな宇宙はどこま
でも乳白の靄をふくんで凪いでいくようだ 僕は そこから生きのびて
いこうとする風景を 新しい組織をそなえつつある「海」 と呼んでみ
ることとした
今井義行
1963年生まれ。詩集に『スワンドード』(書肆山田)『永遠』(ふらんす堂)がある
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