泳ぐ家 奥野雅子 「だいじょうぶですから と電話口でゆりちゃんが言う ゆりちゃんが うちの会社を辞めてから どれくらいになるかな 彼女 はじめての後輩で かわいかった 「あたらしい仕事も見つけました そのうち馴れると思います あ、それから、一人ぐらしもはじめるんです せまいけど K先輩と遊びにいらしてくださいね 楽しみにしてますから ゆりちゃんは前より ちょっと太って元気そう 見たことのない大人っぽい服を来て 無邪気にはりきっている 彼女のアパートは 潮風の吹く海岸沿いで ふるくて痛んでいるけれど それなりに広かった 引越し祝いを渡しながら 家賃、いくらなの? と、まず、質問する 「六万円です へえー、それぐらいの家賃でも、 これくらいの広さの部屋に住めるんだ ゆりちゃんはよく笑う 「はじめての一人暮しの部屋で なかなか快適そうでしょう? 広めの畳の部屋の奥に 浴室がある じゃばらになっている引き戸を開くと 海に面した浴槽に 波が うちよせてきていることに おどろいた お湯は 浴槽いっぱいに 張ってある 温かくて 気持ちよさそう いっしょにいた同僚のKが 「ちょっとはいってみるね と言いだした 私ははいれずに、ただ 浴槽をながめている 魚が泳いでいる 赤や青の混ざった 熱帯に棲むような色の魚が 底に 波が はいりこむと いっしょに はいりこんでくる 夜になって 潮が満ちてきたら 沸かしても沸かしても お湯は 海水と混ざりあうだろう そのことをゆりちゃんは 知っているのかな ゆりちゃんは笑っている うれしそうに Kはきもちよさそうに お湯につかっている 満潮になったら 浴室を溢れて 畳の部屋まで海水がはいってしまうかもしれない そのことを 私がはやく ゆりちゃんに教えてあげなくちゃ いけないのに こうしているあいだにも 色の薄い半月が 広すぎる窓から すぐそこのタイルの床まで はいりこんできている 奥野雅子 1973年生まれ。詩集に『日日は橙色の太陽に沿って』(書肆山田)がある。 詩誌「Intrigue」同人 <TOP>に戻る |