ハラッパ
林・恵子
家から坂を下って右に行くと小さな川があって、川とたんぼの間は広い野原です。たく
さんの草花や虫がいるのでお気に入りの場所です。あの日は母の日のプレゼント用にシロ
ツメクサで花冠を作ろうと、朝からずっと編んでいました。座り込んでいる横にはたくさ
んのハルジョオンも咲いていて、気持ちの良い風に揺れていました。
もう少しで編み終わろうとしていた時、ハルジョオンの下で何かが動きました。カエル
かな、と指で触ろうとするとピョンとはねて持っていた花冠の上に立ちました。2本の足
で立っていたのはカエルではなくカッパでした。正確にはカッパのような生き物です。本
で見たカッパの頭には水を入れるお皿が乗っていましたが、この5cmほどの小さなカッ
パは頭にハルジョオンの花を乗せています。背中に甲羅もないし水かきもありません。
「川じゃなくて野原だからハラッパ、、、?」自分の思いつきに吹き出し恐さも忘れて
その小さな生き物を観察しました。わたしに何か話しかけているようですが、キュルキュ
ルという音にしか聞こえません。わたしはハラッパを手のひらに乗せ、顔の近くまで近付
けました。やはり何を言っているのかわかりませんでしたが、身ぶり手ぶりで小さな体を
動かしている様子がかわいくて「うんうん」とうなずきました。するとハラッパはにやり、
と笑って、小さな小さな緑の指をわたしのほうに差し出してきました。
「ETみたい」わたしもそろそろと指先をノッパの指に近付けました。
気がつくと"わたし"がシロツメクサの花冠を頭に乗せて走っていくのが見えました。
「待って!」とのばした手はカエルのような緑色でした。驚いてその手で頭を触るとフ
ワフワとしています。そう、わたしはハラッパと入れ替わってしまったのです。
今はこうしてアザミの近くに座って、子供が見つけてくれるのを待っているのです。
蛙
林・恵子
学校からの帰り道、みんなが下を覗き込んで大騒ぎしていました。柵の2mほど下は畑
です。走り寄って一緒に覗くと蛇が蛙を飲み込もうとしているところでした。
「さっきからちょっとずつ食べられちゃってるの」
「気持ち悪い〜」
そんなに大きな蛇ではないのに体中を口にして、蛙を後ろ足から丸のみにしています。
おなかのあたりまで蛇の口に埋まってしまった蛙はとても苦しそうでかわいそうでした。
わたしは小石を拾って、蛇のしっぽのあたりをめがけて投げました。石はそれて乾いた土
に穴をあけただけでした。
「ねえ、助けてあげなきゃ」わたしは手に持てるだけの小石を拾って、蛇にむかって投げ
ました。みんなも一斉に投げはじめ、すぐに誰かの投げた石が蛇の頭に当たりました。蛇
は石にはじかれて仰向けになり、飲み込まれかけていた蛙は蛇の大きな口から抜け出しま
した。蛇はしゅるしゅると草むらに逃げ込みましたが、蛙の方は後ろ足が半分ばかり溶け
ていて前足だけでよたよたと動いています。
「あーあ、かわいそうに」「あれじゃ、またすぐに蛇に捕まっちゃうよ」
面白いショーが終わったかのように、みんな帰ってしまいました。わたしは全然前に進
めない蛙を上から見ていました。じわじわと体の下から溶けていく恐怖をまたあじわわな
ければならいなんて、かわいそうでしかありません。
わたしは一番大きな石を両手で拾い上げ、蛙めがけて投げ落としました。
膨張する頭
林・恵子
頭が膨張している”感じ”がする時があります。
いつも、という訳ではなくて、夜中や朝早くにふと目が覚めた時にそんな感じがするの
です。鼻の上、眉間のあたりから耳の後ろを通ってぐるっと一周、頭の上半分がぼわんぼ
わんと広がっていく感じ。
すぐになくなるあの”感じ”が今日はずっと続いています。でも感じがするだけなので
鏡で見ても昨日となんら変わりなく、人より小さい頭が映っているだけです。
膨張する頭のまま外に出てみました。頭の上がフラフラと頼りなく、まっすぐに歩いて
いても右に左に傾きます。人とすれ違うのにも頭がぶつかりそうで大きくよけてしまい、
不審な目で見られてしまいました。疲れたので公園のベンチでひと休みです。ぐらつく頭
を固定するようにほおづえをついて、自分の影を見つめます。影もいつもの小さな頭。
「ふうせん、ふうせん」
声がしたので顔を上げると、小さな男の子がよたよたとわたしの方に近づいてきました。
後ろを振り返っても風船などありません。母親らしき女性が「やーねえ、風船なんてない
でしょ」と、男の子を抱き上げて砂場の方に行ってしまいました。砂場で遊び出した男の
子をぼうっと眺めていてふと「あの子にはわたしの膨張する頭が見えたのかも?」と思い
ました。確認してみようと、帰る様子でブラブラと歩き出し砂場に近付きました。男の子
はプラスチックのシャベルで砂山を作り、枝を刺しています。
「何を作ってるの?」わたしは男の子の前にしゃがみました。男の子は「ゴーエンジャ」
と言いながらわたしの頭をじっと見て、持っていた枝を振り上げました。
「ふうせん、ぱん」
泥棒
林・恵子
「おふくろヤバいな、そうとうボケてるよ」
義母の家から帰って来た夫が深刻な顔で言いました。うちから車で15分ほどのところ
に一人暮らしをしている義母は、85歳を過ぎても足腰の強いきちんとした人です。その
義母が「家に泥棒が入る」と言い始めたのは半年くらい前だったでしょうか。最初は夫も
わたしもとても驚きました。でも話を聞くと、盗られたものは下着とか着古したシャツだ
とか冷蔵庫に入れておいたらっきょうが半分だとか、盗られるはずのないようなものばか
り。友人に聞くと”それこそが認知症の初期段階”なのだとか。自分が忘れてしまったもの
を”盗られた”と思ってしまうのだそうです。でも、たまに「泥棒が入る」と騒ぐほかは普
段と変わらないしっかりものの義母だったので、その度に鍵をつけかえたりして落ち着い
ていたのですが、今回は様子が違うようです。「泥棒が家の中にいて気持ち悪い」と言う
のだそうです。恐いから泊まってくれと頼まれ、わたしが泊まることになりました。
義母のベッドの下に布団を敷いて寝ながら話をしていると、すぐに義母は寝てしまいま
した。泥棒が恐くて眠れないでいたのかもしれません。わたしもうとうとしかけた時、台
所の方で物音がしました。体を起こして横を見ると義母は寝ています。ゴソゴソとまた音
がしました。わたしは義母を起こさないよう注意して立ち上がると、寝室のドアから台所
をのぞきました。台所の奥にある冷蔵庫が細く開いていて明かりがもれています。その明
かりに照らされて冷蔵庫を漁っているのは、義母のシャツを着た義母ではない生き物でし
た。黒いずんぐりとした生き物は冷蔵庫の奥からビンを取り出しました。くるり、とビン
を引っくり返して中身を確認してから開けています。それはいつもの義母のクセで、わた
しはただ不思議な気持ちで黒い生き物を見つめていました。
果実
林・恵子
家に帰ると玄関先に紙袋を持った女性が立っていました。上品な感じのおばさんです。
「あら、よかった。お留守みたいだから帰るところだったのよ。まあ、真紀子ちゃん、き
れいになって」
とても親しげな様子に戸惑いつつ、どこかで見たことがあるなぁと記憶をたどります。
「ひさしぶりだから忘れちゃったかしら?山本です。中学の同級生の、、、」
「あ、孝行君のお母さん?」
「そうよ。思い出してくれた?あの頃は仲良くしてもらって、よく遊びに来てたわよねえ。
大学の帰り?東京まで通ってるんでしょ、偉いわねえ、、、」
途切れなく話が続きそうだったので、わたしは口をはさみ聞いてみました。
「あの、、、孝行君はお元気ですか?」
中学卒業以来、近所なのに一度も会ったことがなかったのです。
「元気よー」とおばさんは明るい調子で、孝行君の様子を話してくれました。高校に入る
とすぐに不登校になったこと。ある日大きなプランターと土と肥料を持って部屋に閉じこ
もったこと。1か月後、話しかけても返事がないので鍵を壊して部屋に入ったこと。
「そうしたら、真紀子ちゃん、信じられる?孝行は木になってたのよ」
孝行君は窓辺に置かれた大きなプランターの中で手を広げて立ったまま木になっていた
んだそうです。雨樋からプランターに水が入るようなしくみをちゃんと作って。
「3年経ってね、今年ようやく実がなったのよ。うちじゃ食べきれないからお裾分け」
そう言うと、おばさんは紙袋をわたしの手に持たせました。中をのぞくとみかんくらい
の大きさの赤い実がたくさん入っていました。
ネコ
林・恵子
小学校2年生の時のことです。学校に行く途中で子ネコを拾ったわたしは、隠す時間も
なくてランドセルの中に入れて登校したのです。イスの背にそっとランドセルをかけまし
た。1時間目の木村先生は恐い女先生でしたから、見つかったら大変だと思いました。
(大人しくしててね)と祈りつつ授業を受けていたのですが、後ろからカリカリとひっ
かくような音が聞こえてきて、先生の話が頭に入ってきません。先生が黒板の方を向いた
時とうとう「ミャア」とネコが鳴いてしまいました。体も心臓もびくんと震えました。
「誰です?ふざけているのは」
木村先生が振り向いて鋭い目で見回します。わたしは目が合わないように教科書を見つ
めました。が、ネコは「ミャア、ミャア」とさっきより大きな声で鳴きます。
「猫を持ってきている人がいるんですね」先生は鳴き続けるネコの声をたどってわたしの
列に近付いてきました。(鳴いちゃだめ)と必死で念じましたが鳴きやみません。先生は
わたしの横に立ち、
「ランドセルをあけなさい」と言いました。わたしは下を向いたままランドセル取って
胸に抱えました。心の中で(ネコお願いだから消えて!)と何度も願いました。
先生は無言でわたしからランドセルを取り上げると逆さにしました。教科書やノートが
バサバサと机の上に落ちました。が、ネコは落ちてきません。予想を外した気まずさか後
ろの佐藤君や田口君のランドセルも調べていましたが、どこからもネコは出てこなくて、
結局授業は再開しました。鳴き声は、、、やみました。
あのネコはいったいどこに消えてしまったのか今でも不思議です。夢だったのかも?
でもひっかき傷がたくさんついたあのノートは確かに今わたしの手にあるのです。
暗闇の鬼
林・恵子
今日はランドセルを家に置いて学校に集合してから、美樹ちゃんちの近くの公園まで遊
びに行ったのです。みんなで話をしながら美樹ちゃんの後について歩いていたので、道は
よく覚えていません。ずいぶんと歩いた気がします。わたしのうちは小学校のすぐそばだ
から、「毎日こんなに歩いて学校まで来るのは大変だなあ」と思ったのです。遊んでいる
と5時を知らせるチャイムが鳴り、みんなそれぞれ帰りました。わたしは一人になってか
ら帰る道がわからないことに気がついたのでした。小学校に着けば大丈夫だから、と最初
は軽く考えていたのです。明かりのついている家を訪ねて聞けばよかったのに、ためらっ
ているうちに家もなくなってしまいました。歩いていても誰にも会わないし、あたりはど
んどん暗くなってくるし、急に不安になって走りだしました。
走りながらこんなお話を読んだことがあるな、と思いました。「トロッコ」という乗り
物で知らない町まで行ってしまって、暗い中を走って帰る男の子のお話です。あの子はト
ロッコの線路伝いに帰れば良かったけど、わたしには何の目印もありません。狭い町のは
ずなのになんで知らない景色ばかりなのでしょう。なにしろ明るい方へと走ることに決め
ました。振り返ったら暗闇の鬼に捕まる気がして前だけを見て走りました。どんどん近く
まで鬼が迫ってきている、そんな様子が頭に浮かびスピードを上げます。畑添いの道を明
かり目指して走り続けていると、見覚えのある看板がありました。学校とは逆方向から家
の近くの道に出たのが不思議です。ほっとして速度を落とし、力を入れ過ぎて痛くなった
手をぶらぶらさせました。たしかあの男の子は家に帰ってからわんわん泣いたんだわ。
「鬼なんているはずないのに」暗闇におびえた自分がおかしくて後ろを振り返りました。
足に冷たいものが触ります。見るとたくさんの暗い手が、、、
強制終了
林・恵子
ひさしぶりの実家。実家といってもわたしが生まれ育った町でもないし、わたしが過ご
した部屋があるわけでもない、母が住んでいる家。なので、「帰る」というより「行く」
感覚の場所だ。
夕飯の後、茶わんを洗いながら母が言う。
「愛子ちゃんが結婚するらしいわよ」
「あら、おめでたい、いつ?」
「、、、来月だって、、、」
言葉の前と後にため息にも似たタメが入る。このタメの部分が母の一番言いたいこと。
それは正面きっては言わないでいつも背中越し。この場合は「従妹にまた先を越されたわ
ね」か「あなたはいつなの?」が”、、、”部分に入る、と思う。なにしろ自分の考えを
話してくれないので、推測だけど。
母の背中の真ん中には大きなほくろがある。ぽこっと出っぱっていて6,7mmある立派なほ
くろ。小さい頃一緒にお風呂に入っている時に見つけて、
「お母さん、ここにおっきなほくろがあるよ」
触ろうとしたら、いきなり手をぴしっとはたかれた。普段感情を表に出さない母に恐ろ
しい形相でにらみつけられたので、とてもよく覚えている。あんなに怒るようなことだっ
たのだろうか?今もこうして背中を見るたび思い出す。
梨の皮をむきながら母の話は続いている。薄い服だから背中のほくろもぽこりと存在を
明らかにしている。
「井上さんは娘さんに海外旅行に連れて行ってもらうんですって」
「へえ、どこに?」
「、、、パリ、、、」
わたしは母の後ろに立ってほくろを押した。
一度やってみたかったこと。
1、2、3、4、5
ゆっくり5秒押し続ける。
すると母はそれっきり動かなくなった。
缶けり
林・恵子
「とうとうしげるちゃんも逝ってしまったか」
わたしは受付の列に並んだ。
年をとるとだんだん葬式の参列者も少なくなってくるものだが、珍しく列ができている。
明るい元気な奴だったから、知り合いも多かったのだろう。ここ数年会うことはなかった
が、小さい頃からの長い長い付き合いだった。あの頃の友達はもうみんないない。
順番がまわってきてモゴモゴと挨拶をし、記帳する。「権藤」という名前は筆で書くの
に時間がかかる。おまけに手が震えるのでわたしの後にさらに列がのびた。香典袋には5
千円。年金暮らしの身には痛い出費だ。最近では訃報が回ってきても極力出かけないよう
にしているのだ。
「しげるちゃんの葬式に出ないわけにはいかないもんな」
パイプいすに腰をおろし遺影を見た。そこには口の片端をあげて笑っているしげるちゃ
んがいた。何年経っても変わらない笑顔だ。
親族席では子供がゲーム機で遊んでいる。ぼんやり見ながらわたしはこどものころの遊
びを思い出していた。ゲームはおろか遊具も何もない、体だけでの遊び。
「缶けりもよくやったなあ、、、」
足の速いしげるちゃんと運動音痴のわたしは最後まで残った。しげるちゃんは鬼より速
く缶を蹴り飛ばせたからで、わたしは隠れるのがうまかったからだ。夕方みんなが帰り出
す頃に現れて、驚かせるのが好きだった。
焼香をすませるとすぐに帰路についた。たよりない街灯の下をノロノロと歩いていると、
前に人の気配がした。顔を上げると少年が立っている。わたしと目が合うとニヤリと笑っ
た。今見て来たばかりの特徴のある笑い方。
「ごんちゃん、やっとみつけたぞ!」
少年は暗がりを指さして走り出した。向かう先にはパインの缶が伏せて置いてあった。
もう間に合わない。なにしろわたしは足が遅いのだ。とうとうわたしの番がきた。
記憶
林・恵子
「F市で見つかった少女の遺体は、死後十数年以上経っているとみられています」
よく知った町の名前に顔を上げた。テレビではアナウンサーが眉根にしわをよせてニュ
ースを伝えている。
「この用水路は田んぼの水が増えた時に川に流れる仕組みになっていて、普段は点検など
していなかったようなんですね」
と、隣の女性アナウンサーにつなぐ。
「それでこんなに長い間見つからなかった訳ですか。かわいそうですね」
現場の様子が映し出される。(あ、知ってるわ、この場所。アケミちゃんちに遊びに行
く時に通った道だ)
ゆるいカーブの道の北側には小さな川、南側には広い田んぼがひろがっていた。わたし
の家はあの田んぼのさらに南の住宅街で、アケミちゃんの家は川を渡った先にあった。一
番の仲良しで、学校から帰るとすぐにランドセルを置いて遊びに行ったものだ。
「なぜその狭い用水路に入ったんでしょう」
女性アナウンサーが問いかけると
「子供は冒険心が旺盛ですから、、、」
その先は耳に入ってこない。思い出した。
(あそこは近道だった)
川と田んぼを隔てる道は広くないのに車通りが多く、横断歩道もなかった。道路の下を
横切るその用水路を見つけたのは偶然だった。川の水かさが増したときだけの用水路なの
で普段はただの丸いトンネルだったのだ。そこを通ればすぐに川の横に出れる。子供が腹
這いでやっと進めるくらいの小さなトンネルだ。細かったわたしでぎりぎりだったので、
体格のいい子では通れない。わたししか知らない秘密の近道だったのだ。
(真ん中あたりが狭くてひっかかって慌てたことがあったっけ)
帰りに雨が降って来て急いでいたのだった。
ふと思った。その後は?誰かが助けてくれただろうか。ううん、そんな覚えはない。降
りやまない雨。体の下から水がじわじわと滲みてくる。それが最後の記憶。
宝もの
林・恵子
母は毎年、梅干しを漬けていました。庭には小さいけれどたくさん実のなる梅の木があ
って、その実を取るのはわたしの役目でした。
青い実たちは光に輝き宝石のようでした。
「一番きれいなのを一個もらってもいい?」
わたしは母に聞きました。先週の誕生日に伯母から宝石箱をもらったので、それに入れ
るにふさわしい宝物を探していたのです。
手のひらに乗る小さな宝石箱なので梅の実ひとつを入れるのにちょうどよさそうです。
「いいわよ。でも梅の実を全部取ってからね」
わたしはよりきれいな実を選びながら取りました。これがきれい!と思っても後からま
たきれいな実が出てきてなかなか決まりません。最終審査に残った3個を並べて悩んでい
ると、母が
「あら、そこにも大きいのが残ってるわよ」
と枝の下の方を指差しました。全部取ったはずの枝に大きい実がひとつ残っていました。
金色の産毛がきらきらと光り、触るとビロードのようにすべすべとしていました。
「きれーい、これにした」
わたしはすぐに部屋に戻りました。金に色とりどりのガラスが埋め込まれた3本足のつ
いた宝石箱。ふたを開けて梅の実を入れるとうっとりするくらいぴったりでした。
「わたしの一生の宝ものよ」
梅の実をそっとなでながら言いました。
それから毎日朝起きると宝石箱を開けて梅の実を確認しました。1週間ほど経った頃で
しょうか、梅の実に変化が現れました。黄色く萎んできたのです。きれいな宝石でなくな
ってしまった梅の実、わたしはがっかりして何日も放ったらかしにしていました。
ある日、勉強をしていると目の端で何かが動いたような気がしました。いえ、気がした
のではなく机の上に置いておいた宝石箱がカタカタ、カタカタ、と震えるように動いてい
ます。
「梅の実に蛆が湧いたんだ」
想像すると開けるのも恐ろしくて、宝石箱のふたが開かないようにテープでとめ、ゴミ
の日にそっと捨てました。
次の日学校から帰るとあの宝石箱が机の端でカタカタ、カタカタと音をたてて待ってい
ました。
心地よく秘密めいたところ
林・恵子
その子に会ったのは卒業してから4回目です。まずは同窓会、2回目はたしか同級生の
お葬式。3回目は道でばったり、そして今回。
すぐにわかったのです。だって全然変わっていなかったのですもの。中学生なのに大人
っぽい、他の男子とは別の世界に住んでいるような子でした。だから十数年ぶりに会って
も何の違和感もなく話しかけられたのだと思います。
その子と会うたび思い出す本があります。
共同墓地に住む幽霊たちの話。恐くはありません。むしろ心穏やかになれる本です。
「どうしてこの本を思いだすのかしら?」
わたしは本棚の一番上の右隅からその本を取り出してパラパラとページをめくります。
何度引っ越してもいつも右上端に納められる小さな本。
人の縁は不思議です。卒業以降まったく会わない人もいれば、こうして何度も会う人も
いるのです。それも初めて入った小さなライブハウスで。
公倍数の問題なのかも、と思いました。
たとえばわたしが5でその子は3、とか。15に1回の割合で規則正しく会うことがで
きます。わたしが2ならもっとひんぱんに会うことでしょう。
その子はわたしの話を静かに聞いてくれました。バーカウンターにもたれてビールを飲
みながら。わたしはそれだけで納得し安堵感に包まれました。何年も会っていなかったこ
となどまるで関係なく、とても親しい気持ちになったのです。前に会った時もこうだった
のでしょうか。
ただ、別れ際その子がつぶやいた言葉が気になります。
「早く安らかに眠れる日がくるといいね」
どういう意味かわからなかったので、またそのうち会った時に聞こうと思います。
安眠
林・恵子
いつの頃からか、夜が恐くなった。恐い本を読んだせいなのか映画の影響なのか、原因
はわからない。中学時代はずっとだった。
眠る時間になると「このまま死んじゃったらどうしよう」とか「死んだら”わたし”は
どこに行ってしまうんだろう」と、考えて眠れない。暗さに目が慣れてくると天井の模様
が動き出しそうで、目をぎゅっと閉じて何か別のことを必死で考えているうちにいつしか
寝てしまう。その繰り返し。
「死」というものの漠然とした恐怖におびえていたのだろうか。
明るいうちは楽しく過ごせるのに、夜が近付くと恐怖と不安でたまらなくなった。受験
勉強しなくてはならない時期が来ると、勉強している間に眠ってしまおうと考えた。とこ
ろが、勉強よりも眠りの方に意識が行ってしまう。結局どちらにも集中できず成績はは落
ちるし眠れない、という負のスパイラルにはまり込んだ。それでも、程度の良い高校に入
れたのは、まぐれだったのだろう。
高校に入るとラジオという救いの神が現れた。つけっぱなしで寝ると翌朝母親に怒られ
たが、音が流れていれば少し安心して眠ることができた。
毎日なんとなく睡眠不足。学校でも電車でも眠くてしかたない。
高校2年の夏、祖母が死んだ。72歳だった。母はひどく泣き、いつまでも祖母の話を
しては涙していた。わたしは祖母にかわいがってもらった記憶があまりなくそんなに悲し
くもなかった。
なぜだろう、そんなに親密な間柄でなかった祖母が枕元で子守唄を歌ってくれている。
わたしはひさしぶりに安眠を手に入れた。
林・恵子
仙台生まれの神奈川育ち東京在住。
天道 六四麿博士指導の元に、さまざまなてんとうむしモノを製作。
てんとうむし新種発明協会デザイン研究所長。
HP「てんとうむし新種発明協会」
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