大勢で佇む
タンスが小さいから入りきらない服をハンガーにかけて 部屋のあっちこっちに吊るしている 半袖のアロハっぽいシャツもあるし フードつきの厚手のオーバーもある もう何年も着てない擦り切れたスーツなんかも 見回していると人いきれが感じられるくらい 吊るされたどの服に対しても そいつを着ていた最後の日のぼくの姿、というものがあったんだよね その時の姿を覚えてはいないけど 見てるわけじゃないから覚えられるはずもないけど 服たちは部屋の四方で 光と埃と、ぼくの最後の動作を吸って ずっと静かに佇んでいるんだ 荒い息を潜めながら でも佇んでるっていって活動を停止したわけじゃないから 叩くとすぐ動くよ …じゃ実際にやってみようか −赤い毛玉を襟元に浮き立たせたコートをハンガーから取り外す 今春だからちょっと暑苦しいけど 埃を払ってしゃきっと袖を通す おもむろにポケットに手を突っ込むと…冷たい硬い感触 百円玉か いつかぼくの手がそのポケットの中に差し込まれ 買い物してお釣の百円玉をそっと落としたことがあった、ということ このままぼくの痕跡を着て、覚えてもいないあの冬の帰宅の晩に戻り コートをハンガーにかけるのをやめて 襟を立て固く着込んだまま戸外へ駆け出したら その疾走の先に、この百円玉が何かの役に立つ、ということも考えられる その決定的な役割とは、何?− 考えられることを考えて ぼくも部屋の壁際に佇む その他の大勢のぼくの動作の痕跡たちとともに 結構荒々しく息を吐きながら まだ、佇んでいる
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