呪い
飲み会が終って終電に飛び乗った
ギリギリセーフ
しっかし混んでるなー
金曜の夜だからしょーがないか
ンなことを思ってふと横を見ると
地味なスーツに身を包んだ若い女の人が吊り革に掴まりながらウトウトしている
目鼻立ちの整ったきれいな子だが
化粧っ気のないほっぺたにぶつぶつ吹き出物ができている
かわいそうに
残業、しかも多分連日だ
時々膝がガクッと崩れそうになる
吊り革に絡ませた手でようやく体を支え、辛うじて目蓋を開ける
が、余りの眠気の強さにまたウトウト
誰か席譲ってやればいいのに
あれ、青白い手の甲の皮膚の上に
「アリマ電機/2500 タカダ工業/1850」と
ボールペンで走り書きがしてある
納品数?
電話取りながら急いでメモったって感じだ
曲がりくねった字体で書かれた
アリマ電機とタカダ工業
彼女を苦しめて
せせら笑っているように見える
猛り踊っているように見える
アリマ電機とタカダ工業
それは彼女にかけられた呪いの言葉
彼女の手を取って
ウェットティッシュか何かでゴシゴシやって文字を落としてやれば
彼女の頬にはみるみる赤みがさして生気が蘇り
びくっと頭を起こすときょろきょろ辺りを見回し
「あたし、何でこんなとこにいるんだろう?」という展開になるかもしれない
どうかすると
ぼくのことを救ってくれた王子様として認めてくれて
素敵なおつきあいが始まるかもしれない(笑)
いや、待てよ
そんなに簡単じゃない
自分にかけた呪いは案外落としにくい
もっと働かなきゃ、働かなきゃ、と
彼女が彼女自身を呪って強い筆圧で書きつけた
アリマ電機とタカダ工業
彼女の骨の髄まで染み透っている
彼女は週が明けたらまたふらふらと
まるで夢遊病者のように労働してしまうことだろう
その様子、ちょっと実況中継してみますか
……青ざめた顔で誰よりも早く出社すると
まず雑巾を探しに行きました
オフィスのみんなの机を拭き始めます
ああっ、乱暴な!
拭いているんだか机の上のものを床に落としてるんだか
とにかく
目はぱっちり大きく見開かれているのに
何も見えていないかのようです
やがて従業員が出社し始めました
抑揚のない声で「おはようございます」と呟き
彼らに向ってお辞儀をし続ける彼女の姿と
とっ散らかった机を認めて
息を飲みます
始業時間になりました
何をしでかすのでしょうか
わっ、大変
クズ篭に捨てられた紙を拾って皺を伸ばしては何枚もコピーを取ったり
課長が出ようとしている電話の受話器をひったくって
「今あいにく席をはずしております」と言ったりしています
今日はもういいよ、と帰そうとしても
「大変申し訳ございません」と眉一つ動かさずに繰り返すばかり
上司や同僚に恐れられながら
ふらふらオフィスに残り続け
最後の一人になるまで帰りません
それは会社の利益とまるで無関係な
労働の幽霊みたいなもの……
下手に関わったら、憑依される?
ぼくはそっと網棚から鞄を降ろし
隣の車両に移ることにした
じゃあね
あとは、彼女のまん前で居眠りのフリして座っているアンタに任せたよっ
と言っても
混雑してるからなかなか前に進めない
困ったな、困ったな
振り返ってもいないのに
アリマ電機とタカダ工業が
彼女の疲れた皮膚の上で静かに明滅を始めているのが
はっきり感じられるんだ
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