乗り損ね 「駅の階段を駆け上がっているぼく」だったぼくは「手」にひゅっと摘まみ上げられ いきなり、投げ込まれたんだ 「閉じた電車のドアの前で息をはあはあ吐いているぼく」の中に いてて、乱暴だなあ 間一髪、目の前で桜木町行きの電車のドアは閉じてしまった 絶対乗りたかったのに、次のでは上映開始に間に合わないのに、行ってしまう=| 投げ込まれた途端、ぼくはこんなことを、思うことをさせられた ふーん、行ってしまう、ということは 壊れてもう元に戻らないってことなんだね 遂に尻尾の最後の一振りまでトンネルの暗い口に吸い込まれてしまった ん? 涙が出てきた 「閉じた電車のドアの前ではあはあ息を吐いているぼく」の中で立ち尽くすぼくの胸を 鋭く高い声が突き抜けていった 「大丈夫、大丈夫。安心しろ、俺がついててやるから」 「俺、通りがかりの『乗り損ねた電車』だけどさ あんた、『行ってしまう』ことは『壊れてもう元には戻らない』ことだなんて抜かしたね あんた、それって半分正しくて半分間違ってると思うんだ 確かに俺を呼び出して乗り直す、なんてことはできない でもあんた、乗ることのできた俺なんて俺じゃないだろ? 『行ってしまう』ことが起きるためには 『上映開始』に間に合うためにあの電車に乗ろう、と心底思った事実が必要さ あんた、その事実は時空に記憶されて永遠に残り続けて、何度も何度も蘇るんだ あんた、それは苦難の道かもしれない。何しろ何度も何度も『乗り損ねる』のだから しかしその度にあんた、何度も何度も『あの電車に乗ろう』って思うことができる その輪の真ん中に俺はいて、あんたを見守ってるのさ」 ぼく、「あの電車に乗ろう」って思いついた張本人じゃないんだけど そう言われると嬉しくてたまらなかった 「手」はぼくをひょいひょい移動させるばかりだし 見守ってくれる人なんて今までなかったんだ 自主上映だから今日しかチャンスはない映画だけど 途中から見るなんてヤだな、帰って部屋でコーヒーでも飲もう=| 「閉じた電車のドアの前で息をはあはあ吐いているぼく」の中で ぼくはこんなことをまた、考えることをさせられた それならいっそ 「ねえ、『乗り損ねた電車』 もし良ければこれから『ぼくの部屋』に来て一緒にコーヒーでも飲まないか」 「あんた、いいぜ。だけどよ、俺、歩けないんだ。おぶってくれよ」 「手」がひょいとぼくを「家路についているぼく」の中に投げ込む その背中の上で「乗り損ねた電車」が教えてくれる 「あんた、俺、今自由が丘に着いたぜ。女の子たちがいっぱい降りたよ」 「あんた、俺、今多摩川に着いたぜ。釣りの道具抱えたお兄ちゃんが乗ってきたよ」 「行ってしまう」から生まれてくるものもあったんだね 今更のように、あの電車に乗ろう、あの電車に乗ろう、と繰り返し考えているよ 輪の中の君に見守っていてもらうために ところで「乗り損ねた電車」はどうやってコーヒーを飲むのかな? ぼくと一緒に「手」に摘まみ上げてもらって 「コーヒーを飲んでいるぼく」の中に投げ込んでもらえればいいんだけどな |