耳なし
もう帰って来ないかと思ってたけれど よかった、一人は無事で * またあの犬が吠えててさ うぉるんうぉるんうぉるん 共鳴に捕まらないようにしなきゃって いつものように体を硬くして耐えていた だってあの吠え声の奴は 共鳴に捕まった者の聴覚を研いで研いで 眠っている「吠え声」を剥き出しにするだろ? 誰の聴覚にもその芯の部分に各々の「吠え声」がきっと隠されている 犬に宿った「吠え声」は吠えて声にしてもらえるけれど 犬じゃない者に宿った「吠え声」は声になることができない 犬に宿って声にされた「吠え声」は眠っている仲間を剥き出しにする 犬じゃない者は目覚めた自分の中の「吠え声」に負けて操られてしまうんだ そして「吠え声」たちは喧嘩が好き 共鳴で釣って目覚めさせた仲間を相手にして死ぬまで戦う だから絶対共鳴に捕まってはいけない みんな、知らん顔してるんだよ なのにとうとうぼくの夜の耳は共鳴に捕まってしまった ナイフのようにいきり立ってしまった 「ちきしょう。俺、もうブチ切れたぜ あの野郎、タダじゃおかない、ぜ」 部屋にはその時 夕刊読んでたぼくと夕刊とぼくの夜の耳とそれから ぼくが机の上に無造作に放り出してしまったために 兄弟になってしまった、二本のボールペンがいるだけだった みんなそれを聞いてビックリ 何とか蛮行をやめさせようとしたんだ 夕刊:「本当に喧嘩したいのは『吠え声』同士。君とは関係ないんだよ」 ボールペン(兄):「そうとも、君は戦いなんか望んじゃいない、勘違いするな」 でもぼくの夜の耳の奴は「吠え声」になりきっていて皆の言葉に耳を貸しもしない ぼくの夜の耳:「うるさい! お前も一緒に来るんだ!」 ボールペン(弟):「おにいちゃん、助けてーっ」 ぼくの夜の耳は弟の方のボールペンを無理矢理お伴にして、飛び出していってしまった 飛び出していった窓の外に広がる闇に みんなで首を突っ込んで様子をうかがっていると 尾を引くような うぉるんうぉるんうぉるん という「吠え声」と ………… という声にならない「吠え声」が 戦っている、のがわかる 闇の中で次々に「吠え声」が湧き起こる たくさんの「吠え声」たちは一斉にこの喧嘩を注視してるんだ でも誰も気づいてくれないし喧嘩を止めてもくれない -町内の皆さん、犬が一匹暴れているのではないんですよ、 ホントに戦っているのは背後にいる二つの「吠え声」なんですよ、 周りにぼくの夜の耳とボールペン(弟)がいるから危ないから引き離して下さい- なんて叫びたかったけど 喧嘩の様子に異様に興奮している「吠え声」たちに吊しあげられるのが恐くて 黙っていた おや、「吠え声」が止んだ 夕刊:「あっ、戻ってきました!」 * ボールペン(弟):「ええ、ええ、ぼくは隙を突いて逃げてきたんです 夜の耳に気を取られている犬の目に深々と刺さってやった ほんの一瞬、うぉるんと光った所めがけてぐさっと、です 明日の朝見に行ってご覧なさい、あの犬は片目になっていますよ ぼくのことならご心配なく、短い傷がついているだけでたいしことはありません 気の毒なのは夜の耳です 咥えられて、引き裂かれて もうよくわからないヘナヘナな肉片に変わり果ててしまいました 今から行って拾い上げてももう〝耳〟の役目は果たせないでしょうから そっとしていてやりましょう おにいちゃん、ただいま!」 ボールペン(兄):「お前、ほんとよく帰ってきたな…」 二本が抱き合おうとした瞬間、ボールペン(兄)は机から転がり落ちてしまったので たちまち二本は「兄弟」でなくなってしまった よかったね とにかく無事で でもああ、ぼくは明日から耳が片っぽないんだなあ カッコ悪いなあ、それより 朝になったらぼくの朝の耳は驚くだろう、「体が片っぽない」って ぼくの昼の耳も驚くだろうね、いずれにせよ 彼らには明日、体がなくなった経緯についてきちんと説明した上で きつく言い渡してやろう、共鳴には捕まらないように、と- さあ、みんなもう寝るぞ おっと、雨戸はしっかり閉めなきゃ、ね
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