満足
今は11月の日曜の午前で
朝寝坊のぼくはまだ布団の中にいるんだけどさ
この夏亡くなった叔母のことを思い出してる
何で思い出してるかっていうと
外で子供たちが遊ぶ物音が聞こえるからなんだよね
亡くなる一月程前、入院中の叔母を見舞った
末期ガンで手の施しようのない状態でベッドに縛りつけられていた
「痛くて痛くて、痛くないところがないのよ」と訴える
もう手を握ってあげることしかできなかった
手を握ってあげると、微かだが握り返してくる時がある
握り返す行為が、感謝を表すのか耐えられない程の苦痛を表すのかは
今となってはわからない
途切れ途切れに続く叔母の話の中で印象的だったものがあって
それがこの詩の「本題」なんだけど
闘病中、救いとなったのが子供たちの声だというのだ
「隣が小児科の病棟なんだけど
そこの廊下を、小さい子たちがね
ぱたぱた走ったり
甲高い声で笑ったり
するのよ
静まりかえった中、いつも突然
こっちは寝ているから姿は見えないのだけれど
子供たちの立てる音っていいわねえ
突拍子がないっていいわねえ
ぱたぱたぱたぱた 出たり入ったり
物陰からひょいっと顔を覗かせてくるみたいで
いいわねえ
子供っていいわねえ」
おおっ
ナイスな発想!
叔母さん、ぼくは思わず重病人の見舞いに来ていることを忘れましたよ
突拍子がないって、計画性がないって、確かにすばらしい
生きて動いてる者の自発性が感じられますもん
ベッドに縛りつけられ管を差し込まれて
病院の「計画」の手の内に囚われた叔母にとって
そこから出る方法はただ一つ
突拍子のない音を
聴くこと
子供たちが
部屋を抜け出して
規則を破って
見つかったら叱られるのにもメゲないで
勝手に
ふらふら
といって何をするでもなくて
突発的に走ったり叫んだり
それで満足
叔母のことなど一度たりとも考えたことはないに違いない
廊下を走る子供たちの、目には見えない手に引かれて
まんまとふらふら浮遊する叔母も
満足
でもって
眠くもないのにいまだ布団の中にいるぼくも
まあ満足かな
でもって、不意に
「ボールは青いのがいい、青いのがいいの」と
路上で連呼し始めた男の子の甲高い声を
足がかりに
叔母が待っている中空に駆け上り
手をつないで
しばらく一緒にふらふらしてみるのも
まあ
いいかな
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