暗くてぬかるんだ底なしの、でもあったかーい空間
「あけましておめでとうございます」 「おめでとうございます。じゃあ年を取るからね、鏡餅の前に座って」 鏡餅に頭を下げ、盃のお屠蘇を飲みほしスルメとコンブをもらう お正月におけるウチのいつものささやかな行事なんだけど 今年はこのいつもの流れを断ち切ることを言わなければならない 煮しめや黒豆を食べ、お雑煮が出た頃 それっ 「あのさー、今年ぼく結婚しようかなあと思ってね。 実は婚活のサービスに登録してきちゃった。 とりあえず半年くらいはやってみるつもり、なんだけど」 母親「あーっ、やっとその気になってくれたの、安心したわぁ」 父親「おおっそうか、でもなぜお父さんに先に相談しなかった」 予想した通りだけど、概して 「独身を通すと口にしていた頑固な息子の突然の宗旨替えに対する驚きと喜び」 を素直に示しており オットット、親孝行した気になってしまった ぼくも随分親に甘えてるってことだなあ 父は大声で 妹夫婦やアメリカで結婚生活を送っている姉に ぼくの婚活宣言を知らせる電話をかけている それをぼんやり聞きながら 猫のファミとレドの相手をした 実家は30年ぶりの大改装の真っ只中 お正月なので工事は一時休止だが 床の表面が削り取られるわ、小部屋が突然できているわ ファミとレドはこの家の変化を全身で感じてワクワクしてる 鼻を尖がらせて空気の境界をまさぐるように臭いを嗅いだり 前足を突き出して木材のお尻を撫でるように凹凸を確かめたり 暇さえあれば点検、点検、また点検 どこが変わったのか、どこが違うのか 2匹ともすっかり目の光が鋭くなってしまった 少し落ち着かせようとハグハグしようとしたら ウィェーンゥグゥー、 ファミはぼくの手をシュルッとすり抜け 階段の手すりに飛び乗って え? 壁の小さな穴の中に消えてしまった それは電気の配線を変えるために一時的にあけた穴 屋根裏に通じている 「おい、ファミ、戻って」 だがファミは振り向きもしない 鼻の先に突如として開かれた青黒い広がりに夢中になって トットットッと走っていってしまう うへっ、こんな小さな穴に潜れちゃうんだな 猫の体って何て柔らかいんだ ファミは屋根裏の奥へ奥へと歩いていく どこまで続くかわからない真っ暗で埃の舞う空間 不安になったのか助けを求めるように鳴き始めた ミャッミャッ、ミャッミャッ 鼻先をかすめるこのクシャクシャしたものはなあに? 前足の動きを止めるこの角ばったものはなあに? レドが心配そうに天井を見上げる 穴を覗いてももうファミの姿は見えない 屋根裏の真ん中辺りか? いいや、真ん中よりもっと奥だな 奥、底なしの ミャッミャッ、ミャッミャッ ミャッミャッ、ミャッミャッ 父と一緒に懐中電灯を持って屋根裏に登ったぼくの前には 恐怖に身をすくませながらも何かに魅入られているファミの姿があった ぬかるんだ闇の奥をじっと見つめながらソローリソローリ前進する 腰を抜かす程ビクついているのに なぜか助けに来たぼくと父の元に戻ろうとしないんだ そんなファミの鼻先に浮かんでいるもの ああ、ぼくにとっての「お嫁さん」みたいなものか? 暗くてぬかるんだ底なしの空間 でも意外とあったかい(エアコンの温風が溜まるせいだ) ああ、ここだったら ズブズブ進んでいっても 大丈夫かも…… やっとこさファミの興奮が収まり、腕の中に飛び込んできてくれた 抱きかかえて屋根裏から降りたところ 入れ替わりでレドがファミを探しに屋根裏に登ってしまうというハプニングがあった 母「屋根裏に登りたかったわけじゃないんだからそのうち降りてくるでしょ」 果たして1時間後に自分でハシゴをつたって降りてきた レドはほんとにファミちゃんが好きなんだねえ 帰って来られるとわかってからファミは また屋根裏に行きたいよー、と言いたげな素振りを繰り返す ダメダメ もう穴は塞いだし、ハシゴも取り去ったよ だけど 屋根裏には 暗くてぬかるんだ底なしの でも、あったかーい空間があった それはぼくにとっての まだ体験していない結婚生活にも通じていて ぼくはまだ穴の位置を探してる最中だけど ファミには先を越されちゃったな 親孝行した気になって満足してちゃいけないってことさ ねえ、ファミちゃん、ぼくもがんばるからね
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