孤独の先生
会社から帰りアパートのドアを開けると ささっと走ってきてぼくより先に部屋にあがり込む ファミだ よっこいしょ、カバンを床に置いて電気を点けると ガリガリ、ガリガリガリ いつものように絨毯で一生懸命爪砥ぎする丸い背中が見えた ファミはぼくがかまっているノラ猫の中で一番なついてきたメス猫 三毛の毛皮がつやつやで美しい ノラ猫たちとネコジャラシで遊んでいる最中 他の猫は触ろうとすると逃げるのにこいつだけはなぜか逃げなかった 試しにひょいと持ち上げて高い高いをしてやると 何と澄ました顔で平然としている それどころかスリルを楽しんでいる感じなんだな そのうちぼくが近づくとひっくり返ってお腹を出すようになり 部屋に入りたそうなそぶりを見せるようになった まあ、何つったってかわいいからね かわいいものには弱いからね 部屋にあげてしまったのが運のツキ ファミは部屋を一周しながら家具や柱に体を擦りつけるのに余念がない こんな時は好物のミルクをあげてもダメだ 自分の匂いをつけるマーキング行為に夢中なんだ もうぼくの部屋はファミの縄張りと化しているということ 一周し終わるとファミはぼくのところにも来て全身をスリスリしてくる 頭をひねり、体全体をひねって なるべく多くの面積がぼくに触れるようにしている ただ甘えてるんじゃないね ぼくも、彼女の所有物だと主張しているのだろう いつものように抱っこをすると 心持ち頭を上げてぼくの目をまっすぐ見つめてくる この落ち着きのある、凛とした表情がいいんだよ ノラ猫なのにまるでお姫様みたいだなあ でもやはりまだ子猫だ じきに抱かれるのに飽きて足を振り回し始める 下に降ろすとこちらを向いてミャーと鳴いた 遊びの催促だ はいはい 今日は孫の手を使うか 孫の手の先っぽのギザギザをジグザグに動かすと 瞬時にファミの目はハンターのそれになる ちょっと後退してうずくまり、目だけキョロキョロ やがて姿勢を低くしたままそろりそろりと移動する おや? ファミちゃん、獲物がカバンの裏に隠れちゃいましたよ ダダッ 途端にファミはカバンの裏に回りこみ しなやかな弧を描いて飛び上がる 息を潜めている(?)獲物を前足でしっかり押さえつけた お見事! ファミちゃん、えらいね、えらいえらい 頭を撫でるとファミはちょっと得意そうに前足をぺろぺろ舐めるのだった ひとしきり遊んでからお皿にミルクを注いで出すと 喉が渇いたファミはごくごく飲む 口の周りを満足そうに舐めて、耳の辺りを後ろ足で掻き お気に入りの椅子に飛び乗って毛づくろいを始める ファミが毛づくろいにかける時間はとても長い おかげでいつもブラシをかけたみたいなピカピカの毛並み やっぱり女の子だからオシャレには敏感なのかな 毛づくろいしているうちに次第にうとうとしてきてしまう 頃合いを見計らってぼくはファミの目やにを取ってやる 起きてる時に目の周りをいじると嫌がるからね 眠たいファミは無抵抗でぼくに顔を預けてくれるから 目やにはすぐ取れる はい、きれいな顔になったよ 眠りの3歩手前くらいにいるファミの喉をそっと撫でる ファミは目を細め首を伸ばして、もっと触って欲しそうな仕草をする 頚動脈が走る、ゴロゴロいうその部分は、生き物の急所 だから愛撫を許すってことはぼくを全面的に信頼してるってことだ 急所だからこそ感覚が鋭敏であり 触られると気持ちがいい 目を細めながらファミはどんどん丸くなって 遂に寝入ってしまう ・・・・・・・・・・・・ 毎日じゃないけど、ファミは ぼくが出勤する時に「お見送り」をしてくれることがある 今朝もそう ぼくの姿を見て、トットットッと駆けてきて 庭の金網の下から顔を潜らせて、ミャーオーと鳴く その鳴き声は切ないけれど 会社員であるぼくはここに留まっているわけにはいかない ファミにもテリトリーから出てついてくる勇気はない 頭を撫でてやって、終わりだ 歩き始めて振り返ると、まだこちらを見ている 「ぼくがいない時間」の到来を悟り 胸の中に空虚が広がっていく感覚を味わっている、といったところだろう ファミが理解したのは 野生には存在しない「孤独」の概念 それはぼくが毎夜じっくり教え込んだことから醸し出されてきたもので つまり、ぼくはファミの「孤独の先生」なんだ
<TOP>に戻る