傘との偶然
「またやっちゃった」 振り返る暇もなく 電車のドアはぼくの背後で閉まり 手摺りに首をひっかけられたカッコのまま黒のコーモリ傘は みるみる速度に掻き消されていく やれやれ 何度なくしたことだろう ついさっきまで手にしっかり握り締められていた ビニールの白いぼんやりした輝きが 夜のコンビニの傘立ての丸い穴の中でとろんと 闇に消失していくぼくを見送っていたこともあった 公園で遊んでいるガキんちょどもに転がってきたサッカーボール蹴り返してやって 全員に「ありがとうございました」って頭下げられて思わずアガッちゃって そそくさ鞄を拾い上げて立ち去った時 一緒に拾い上げたはずの折り畳みの紺の傘が 冷たい秋の地面に寝転んだまま だんだん小さくなるぼくの靴音を聞いていたこともあった …こともあった …こともあった なくした傘が何本もあったように なくすぼくも何人もいて 不意に、淡い感じで それぞれ別の時空の裂目に紛れ込む 二度と帰って来ない そしてしばらくして 最後の交叉の点から少しかだいぶか、離れた場所で 新しい傘を求める新しいぼくの姿がふっと立ち上がり 覚束ない足取りで歩き出すんだ 何事もなかったように、実際何事もない 駅の外ではまだ雨が降り続いている 傘を買おうと売店に向かうぼくを感じる 雑踏をかき分け、新聞買ってる初老の男の真後にぴたりと並び 500円の青ビニール傘に目をつけ、手をかけ 「はい、お返し500円です」 淡い軽い印象が手の中に転がってきた しばらくこのぼくとこの青ビニールとで持ちこたえなければならない いつまで? 駅の外はちょっと霞んでいる
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