息の真似事
その古い古い古本屋の2階の角には
何年も買おうと思って買えないでいる3万円の写真集があって
ぼくは時々、ぎしぎしいう階段を上ってそれに会いにいく
重たい写真集を開くともう
曇り空を背にした金網の隙間から吹く動きのない風に晒されている
この風は
ぼくに挨拶するために、ぼくにだけ吹きかけてくる風景の息なんだ
目をつむると首の辺りに挨拶の痕跡をくらくらと感じる
金網のある風景ばかりを映したこの写真集
今更買って帰っても家では落ち着いてページをめくれないだろう
長い間に階段の軋みが紙の中の金網の線の静寂と一体化しすぎて
引き剥がせない
だからここへ通ってひととき金網の軋みに身を委ねるのが一番
まだ少し暑い9月、今日はクーラー壊れてるらしい
うっすら汗をかき階段をギシギシいわせながらあのコーナーに行くと
や、ないっ、買われてる!
あの本が差してあった棚にはポッカリ黒い穴があいている
これからどうやって「ひととき」を過ごせばいいんだろう
呆然として立ち尽くしていると
冷気の気配のない生暖かい空気がぼくの首筋に触れてくるのに気づく
壊れたクーラーから流れる、埃臭い…
ああ、いたんだね、ここに
姿は見えないけど
遠くの、二次元の、金網のある風景が、息の真似事を
さっきからしてくれてるのに
ごめん、ぼく、気づかなかったんだよ
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