本当にあったこと
これは本当にあったお話です 残業を終えて帰宅途中、遅くまでやってるスーパーに寄った お惣菜コーナーで鶏のから揚げのパックに手を伸ばしたところ…… ナント! 横からぐっと手首を掴まれました え? ぼく万引きでもしたの? 絶体絶命? ところが目を上げると そこには白髪まじりのおばさんのニコニコ顔があったのだった 「ちょっと待ちなさい、もうすぐ半額になるから」 10時きっかり、調理場から白い割烹着を着たお兄さんが出てきた 惣菜のパックにぺたぺた50%引きのシールを貼り出す 「ほらね、じゃあ」 おばさんはぼくの手を離すと何事もなかったかのように買物カゴに惣菜を放り込んでいく いやあ、こんなことが現実に起こるんですねえ 個人と個人の関係が希薄になったと言われる21世紀東京の意外な光景 そんなものの中にうっかり収まってしまったぼく ようやくカタカタ動けるようになりました ぽーっとしていたぼくの姿は おばさんの視覚システムを刺激した 標的として認識されると おばさんの中で「親切心」がムクムクと起動し 鋭い切っ先を持つグニャグニャに成長する にわかに「手」の形を取ると 一気に攻撃をしかけてきた、ということ 暗闇の中で徐々に準備されたその成長の過程に ぼくは気づくことができなかった もしも、もしもだよ ぼくが来世、熱帯の昆虫に生まれ変わったとしたら カメレオンに狙われて 舌に巻き込まれる瞬間 あっ、この感触覚えがある、と みるみる狭くなっていく知覚の野のどこかで ぽーっと考えたことだろう だが、腕を掴まれた経験は来世のものではない この世の、ついさっきの 本当にあったお話だ ニコニコ顔をした暴力のおかげで 安く買えることになったから揚げのパックを持ってレジに並ぶ いやあ、ほんとはありがたいんだけどね おばさん、ありがとね でも恐いからもうしないでね
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