太らせる
シシはいまだにノラ猫らしさを保っていて
つまりちっともぼくになついてこない
白に黒と茶がちょっと混ざった(しっぽだけ全部茶色)
ぼんやりした顔つきのメス猫シシ
虫とか花とか興味を持ったものに対してでさえ
何となくおどおどした態度を取る
そう言えば子猫の頃はよく風邪をひいてくしゃみをしてたよな
食が細かったので長生きできるのか?と心配に思っていたけれど
成長するにつれて丈夫になり、今はちょっとデブ猫だ
人間を極度に警戒するところはちっとも変わらない
お腹がすくと姿を現すが、決して近寄って来ない
ご飯をあげてもぼくが遠ざかるまでじっと待っている
1歩近づくと2歩下がる
戸の影に隠れて見ていると、そろりそろりと食べ物の前に歩いてきて
おどおど左右を確認してからガツガツ食べ始める
せいぜい5、6歩
それがシシが許せる距離
アパートの門の辺りで出会うと
びっくりしたようにぼくを見上げて
しばしばそのまま固まってしまう
そこにあるのは深い戸惑いの表情
目は大きくてぱっちりしてるんだけどねえ
だからシシについて語ることは
人間に対する恐れを語ること
ママ猫のクロから教わった人間に対する不信感
これを頑なに維持しているのは今やシシだけ
ファミはぼくの部屋を我が物顔で歩き回っているし
レドは甘えがひどくなって膝に飛び乗ってくる程
ソラはまだ少し遠慮しながらだが身を擦り寄せてくるようになった
皆、幼い頃はぼくが近づくだけでさっと逃げていたんだよ
彼らに嫌人教育を施したクロだって
体を触らせこそしないけど
ぼくの手からじかに食べ物をもらうことをためらわない
で、さっきシシがベランダに来たんだ
奮発して、晩の楽しみに買った牛肉を(松阪牛だぜ)切ってやったんだけど
シシはとってもとっても困った顔をしてぼくを見上げるばかり
一向に肉に近づかない
恐しい奴が、何故食べ物をくれる?
食べ物をくれて親切にしてくれるのに、何故こんなに恐しい?
シシ自身にも不思議でたまらないらしい
だから微かに首を傾げて
いつまでもぼくを見上げているんだ
5、6歩の距離を保ちながら
穏やかな日差しの平和な光景の中に
突如として2本足でのしのし歩くお化けが現れ
食べ物をぬっと差し出してくる―
クロが教えた、人への恐怖
他の兄弟猫は皆だらしなく忘れ果ててしまったのに
シシの中でだけ立派に育っている
日々の糧を与えてもらいながら
昔教えられた通り
今なお人間を化け物として認知し続けることができるなんて
立派だね
さ、ベランダの戸を閉めよう
封印を解かれたシシは、ほっとして肉を食らいつきにいくだろう
ぼくはもうすぐ肉を噛むのに夢中のシシの心の片隅で
「恐しい奴」の残像として
無害にうっすら立ち尽くしているだけの存在になる
ちっちゃい頃は細かったのにね
シシはふっくらした体を揺すりながら
恐しい奴のいなくなったベランダを悠々と占領し
肉片を貪っている
サシの多い肉はシシの体を太らせる
ぼくだって負けないさ
そのうちまた2本足の巨大な姿を見せつけて
シシの人間への恐怖心を太らせてやることになるんだから
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