胞衣
ぬるぬる光る粘液に包まれている、と咄嗟に思ってしまったのだった それは中学生くらいの短髪の少女だった 友達んちに遊びに行くようなカッコのまま 路上に倒れている 倒れながら携帯で誰かに連絡している ぼくは人が倒れている光景にこんな近くで出くわしたことはなかった 周りにはぼくしかいなかったから ぼくが面倒をみなければならない 「大丈夫? 貧血かな?」 「ありがとうございます・・・もうすぐお父さん迎えに来るから・・・」 紙のように白くなった顔が夕闇の冷たい掌の中にある 「すぐ来るんだよね? それまでここにいるよ」 上着を脱いで少女の体を覆った 「あんまり苦しかったらお父さん来る前に救急車呼ぶよ」 目をつむりながらうんうん…とうなづくばかり 生命活動を弱めている時に限って、生命体ってのは 自分が生命体だってことを見ている者に鋭く意識させるんだよね 飼っていた犬が息を引き取った二十年前の晩を思い出す 犬は手足を投げ出し腹をぴくぴくさせて 「犬でないもの」に変身していった 犬と「犬でないもの」の中間態として辛うじて息をしていた飼い犬は 少年の日のぼくの目に、ぼおっと光を放つもの、として映っていた 生命活動が弱まった時の生命体には独特の輝きがある 生命活動が盛んな時は生命体は動くものとして安定している 生命活動が停止した時、「生命体でないもの」は動かないものとして安定している 生命活動が弱まった時は、はっ これから生まれ出るものに対するある予感や期待が生命体を貫いて震わせ、安定を奪うのだ 「生命体でないもの」が生まれるかもしれない、という・・・ 弱った生命体が輝いて見えるのは きっと、これから新しく生まれるかもしれない「生命体でないもの」が被る胞衣が 光る性質を持つからだろう 今、ぼくの足下で 少女が海老のように体を丸めて横たわっている 気づかれないよう注意しながら 靴の爪先でちょんちょん、少女の背を蹴ってみた 肩を細かく震わせながら荒く呼吸をするばかり 二十年前「犬でないもの」になりかけている犬に見とれたように ぼくは少女の姿の鈍い輝きに見とれている 眩しい・・・ バイクのライトに照らし出されていた メガネをかけた中年の男が近づいてくる 「ああ、すいません、本当にご迷惑をおかけしてしまって・・・ アヤミ、立てるか?」 少女は男のほうに頭を向けたかと思うと路面に肘をついた うんうん・・・薄目を開けながら頷いてよろよろ立とうとする ぼくは少女の腋に手を入れて抱きかかえ、よいしょっと力を入れてバイクに乗せた まともに歩けない柔らかい体はずしりと重い 少女の体は少女の意志に逆らって、重く柔らかいただの物体としての自立を果たしている バイクに乗せた時、幼い乳房に触れてしまった その先端は将来の用途から切り離され、冷たい宙に向けて危なく尖っていた ともかく、運転する父親の背にしがみつかせるのに成功した 「いやあ、助かりました。家は近くなのですぐ寝かせます。ありがとうございました」 ズアォーッとバイクは行ってしまう これで少女は生命体の世界に戻っていく 小さくなっていくバイクの光を見つめながら 冷たい路上を賑やかしていた胞衣の輝きを思い いつかぼくを包み込むはずの粘液質のものの輝きのことを思った
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