ダンスの輪
腹痛を覚えて便器に腰掛ける
水のような排泄物がとろとろ体から出ていく
冷汗でじっとり濡れてきた額を両手で覆いながら
「体」がぼくを支配してるんだな、と思った
「頭」ではなく「体」が−そう考えると
何度も波のように襲ってくる腹痛がいとおしく感じられた
その時だ
二人分の足音がトイレの領域内に入ってきたのは
「佐藤の奴、契約書の日付間違えやがってよう」という中村の声
「あいつ頭いいけどちょっとザツなトコあんだよな」応える西田の声
二人の影がぼくのいるボックスの扉の下方の隙間から薄く侵入してくる
ちょぼちょぼ 排尿の音が始まると同時に
肩を震わせてでもいるのだろうか、二つの影は微かに左右に振れる
中村も西田もオフィスで顔を合わせるのも避けているくらい嫌な奴だが
ちょぼちょぼという音と震える影になった二人の存在は心地よい
それは「体」が支配しきれなかったぼくの「頭」の狭い領域を埋めるのに
丁度いい分量だ
見えるものと言えば隙間から覗く揺れる薄い影
聞こえるものと言えば扉ごしに響いてくるちょぼちょぼいう軽い音
ぼくには彼らの姿は見えないし彼らもぼくが見えない
便器に腰掛けながらぼくは
目と耳から入ってくる微小な変化にぼんやり身を委ねている
委ねていると 音と光の変化が輪になって
ぼくの方がすーっとその薄い輪の中に吸い込まれていく
他の事柄からはいっさい切り離された状態で
さざ波のような輪の運動に揺られている
死んだ後の世界がこんなだったら
どんなにいいだろうな
こうして腰掛けたまま
音と光のダンスの輪に入ってどこまでも転がり続けられたら
どんなにいいだろうな
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