詩集「クールミント・アニマ」(1995・12・20発行)

書肆山田刊: 2472円(本体)  ISBN4−87995−370−9 装画・松宮純夫/映象−50
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目次

野原を歩くぼくの「情景」 / 幼児画の色
曲がっている蛇 / 風の吹く帰り道
あかるい半球 / パーティの染み
冬 着る声 / ぼくの肖像
ギターを弾く男 / 掌の中の「顔」
Qの日 / 呼吸の巣
髪の毛が残したもの / 捨て子する夜
奥にある穴 / 切り株の物語
ひと足ずつ、規則に / 冷夏の日におなかが痛くなる
「光って」「消える」 / 灰色さんと一緒
カジュアルな象 / 「静止」
クールミントの三分間

あとがき

  これ以上単純に書くことはできなかった。       
  ぼくの生身が属している現実とは何の関係も持たないような二十三の「現
実 」たち。 彼らとともに過ごした時を「 詩 」という形で記録していく作業は
困難を極め、 ほとんどぼくの手に余るものと感じられた。 何しろ目を覚まし
た途端、いきなり彼ら「 現実 」たちと取っ組みあいの本番をしなければなら
ならなかったのだ。 始まりがいつで終わりがいつ、 ということさえ定かでない。
揉み合っているうちいつしか意識が薄れていって、 気がついたら生身の体が
属する現実の中にいました、 という感じ。 どこから何を記録してどう収拾を
つけたら良いのか、 皆目見当がつかなかった。だいたい、彼ら二十三の「 現
実たちは、ぼくが言葉にするまで影も形もなかったものなのである。 なの
に彼らときたら、 例えば「 夢 」のようなはかなげな風情などまるきりなく、
あくまで「 現実 」としてのゴツゴツした手触りを持ち、 なおかつその感触を
生身の体が属す側の現実のヒトたちに伝えることを強要してくるものだから、
さあ、大変! ぼくは彼らの父親であると同時に喧嘩仲間のガキであり、同時
に使用人、 という複雑な立場に立たされてしまったのデシタ。
  それでもここに「 作品 」としての「 詩 」が曲がりなりにも成立していしまっ
ている。 二十三の「 現実 」たちとの格闘をより熾烈なものにしようと思った
時、ぼくの生身が覚えていた数々の感覚上の記憶が思いのほか役に立った。
ぼくの生身が属する現実を否定する性質を持つ二十三の「 現実 」たちは、実
はぼくの生身が抱え込んでいる諸々の記憶に全面的に依拠していたのだ。詩
を書くことは、 あちらの、 彼らの「 現実 」の側から自分の生身を捉え返すこ
とではないか。 ぼくの日常の現実を否定しにかかる、 ぼくの生身の延長とし
てのもうひとつの「 現実 」。 そんなものが本当にあるかどうかを確かめるため
にも、次なる作品を作っていきたいと思う。


野原を歩くぼくの「情景」



「そこの ほら 空中に浮かんでいる絵を
ぼくの手の届く高さに呼び出して」

(国道沿いをふらふら歩いていると)
一枚の見えない絵 がはためいている(そう)
途轍もなく ぼくはそれが欲しく て(ほんと?)
ガードレールの向こうの草の原に半分埋っている
細長いコンクリートの棒に呼びかけていたのさ
(用途のわからないものはいつもいつもそんな所に隠れていて
時折小指のように曲がってみせたりする、と思う)
どんな光景を描いたものだろう その絵は
端っこでいいから犀が描かれていればいいな
犀は 人に無関心な動物だから
(と言ってガードを飛び越え野原に入り)わーい、うわわーい
冬の原っぱ、ざらざらしている、話しかけてこないぞ何も
(体をくるくるさせながら走る、が、すぐ息を切らす)
枯れかかった草を一本、引き抜いて口にくわえたかった
涼しさが緑の奥に忍び入り掻き乱しやがて花開くに従って
ほっとした顔を向ける黄ばんだ草 歯と舌で
その草の全身の細かな表情まで愛撫してみたい
でも
そんなことをすれば相手がいくら犀であっても
非常に 鋭敏に
関心を持たれてしまう(辺りを見回し)
ここでは口の内側の粘膜がくっつき合う音ほど
遠くまで空気を切り裂くものはないのだから
犀は音には関心を持っている(んじゃないかな)
最近動物園に行ってないのでそのカッコをはっきり思い浮べることはできないが
確か角が生えていたはず
耳だけでは足りず
その気になればどんな微細な音でも聞き取れる(としておこう)
関心は 持ってもいいけど持たれてはならない
風になぶられた と感じたら瞬間的に
発作的にその方向に体を折り曲げること(実演)
背中じゅうの筋肉に鋭い痛みがツツーッと走るけど
そうでもしなければ周りの草の動きから浮き上がってしまう
絵はその点利口だ
なにしろ目に見えない
人の口や鼻に張りつく寸前をひらひらしていても気づかれない
ぼくでも気づくことができない位なんだ
絵の中では犀が角に神経を集中させ周囲の刻々を聞き取っている
聞き取ってどうする訳でもないだろうが ぼくの動きも聞き取られてる
やだなあ まああきらめるしかないか
でも逆のこともある
例えば あの道路の補修工事
ブルドーザーが動いているのは かなり
遠 く
だから親指と人差し指を曲げてリングを作れば
気づかれずに中に収めぼくのものにできる
動いているブルドーザーには必ず人が閉じ込められている
四肢が残らず内部の突起に結わえつけられ
休みなく動かされてる そして
曇りガラスをはめられた両目は
落っこちる土砂の一回毎に違う無感情の形を擦りつけられるんだ
いいな こういう眺め ぼくにとって素敵なコレクション
こんな「激しいもの」を誰にも悟られず自分のものにできるなんて ね
ところで見えない絵は今どこをひらひらしてるのでしょう?
空中で丸まったりVの字に折れたりして一人で楽しんでるかな?
もうしばらくぼくの近くに来ないでくれよ、犀、角を別の方へ向けてろよ
(だんだん視線が下がっていく 靴の先で土を蹴る)
立ったまま(再び歩き出す)
両手が地面に着くようだったらいいのに
こんな原っぱの真ん中にも
缶カラが落ちている(歩を弛めじっと見る)
すばやく拾ってまた捨てることができるじゃないか
少しの関心も抱かれないまま
犀の角のレーダーにも引っかからない一瞬の間に
とてもすばやく すばやくだって? 速さは
常にぼくの敵だった
電車の切符を買おうとしても まとわりつく速さのため
コインが穴に入らない
勢い余ってちょっとした角度の違いで
隣の女の人の真っ赤な唇の間にお、押し込んじゃった(ほんとか?)
だが歩きながら地面に着く位両手が長ければ 速さを好きになってやってもいい
今ここで速さと和解することもできたのだ(視線をそらし元の速さで歩き始める)
拾われた缶カラは
一度で確実にぼくの指紋を覚えたろう
指の、ごくわずかな面積で瞬間触れられた部分が
ぼくに見捨てられた後 徐々に熱を持ち
皮膚のかぶれのような症状を呈し ひいては缶全体が(速くなる)
しゃっくり体を折り曲げる・・・・・・
わ、やだ
犀もブルドーザーの人もじっとぼくに注目しているよ
どちらも見えない絵 に描き込まれ空中から遊撃してくる
見えない絵がまとわりついてくるのが感じられる
うるさいっ どうしてだろ?
ん、わかった
犀の奴 気まぐれにブルドーザーの人を見えない絵の中に書き込んでやり
頭に角もつけてやったんだ
そしてブルドーザーの人の方は 人に特別関心のない犀に
人への関心 を植えつけたのだ
ひらひらひらひら あらゆる角度から攻めてくる
靴が草を踏むごとに微かに漏らす、ぼくの「秘密」を
両者とも夢中で聞き取っている!(両手で顔を覆いよろよろ歩き出し)
まだ表情の無い背の高い草の中へ
鋭い悲鳴をあげる切傷の中へ 消えていこう
(と、草叢に分け入ってしまった)

(もうここから姿が見えなくなって 久しい)
コンクリートの棒が地中からそろりそろり抜け出す
壷から這い出す蛸のように
不安定な動き だが立ち上がると
タクトの振りして
複雑な弧を幾つも描いた
その動き通りにきゅっきゅっと
見えない絵 を空中で泳がせているではないか
絵の中の犀もブルドーザーの人も これでは誰にも手出しできない
誰かに狙いを定めようとしてもひらひらする方向を急転換させられてしまい
角のレーダーが役に立たないのだ
それにしてもすばらしく小回りをきかせられるものだ 調子づいて
水棲動物の動作なども器用に真似させ
(しかし 何故そんなことできる?)
「ふん! 棒の代わりにぼくが土の中にいるからさ」




あかるい半球



抽斗の中の湿った砂場でだったか
失くしてしまった靴を探しに
コンタクトレンズの内側へ降りていく
もう目をつむってはいけない
足場がぺしゃんこになってしまうから
袖の綻びから引っ張り出した糸をつたって
そっと そおっと
緊張した脹ら脛の弓がたわみ 震えた
異物感を与え過ぎると
ぼくの匂いのする川がどっと溢れる
でも裸の片足は濡れるのが好き
我慢できなくてぴょんと飛びはねた親指が
皮膚に似せて作られたソフトな
「薄明」の腹を凹ませ
温もりをイモリ、のように走らせる と
手垢のついたトマトの像が疼く
はらっとテーブルから剥がれ
紙のヨットのようにくるくる旋回したか―
角膜の外に押し出されていく
ああそこでは世界が滝となって落ちていくの
コロンブス、コロンブス
あなたの指で水平線をつるりと撫でてくれ
ぼくの足下より遥か下の
渦を巻くねとねとの記憶の中で
蟻の姿をした妹が溺れそうだ
白い海に血の筋が走り
インド大陸の黒い曲面がせり上がってくる
今だ 早く箸でつまんで助け出さなければ
タンパク処理を受けて全てが払拭されてしまう前に!
汗ばんでいた手で握っていた糸を離し
上空に舞っていく睫毛を見果てて
朝のスクリーンを横切る
鼓動の予感は
カーテンのように閉ざしたまま
ガラスの灰皿がむずがゆい虹色の光を
絶えず、絶えず反射して合図しているのに気づき
まばたきを送信する
輪郭を深く歪ませてお喋りしそうになる
カレンダーの数字たちのほの温かい肌に
幽体と化した足音を一歩ごとにくるまれ
歩行の動作がみな
すやすや寝息を立て始める頃―
いずれ保存液の底に沈むからっぽの廃虚で
ぼくは失くした靴を抱き締めている




ぼくの肖像



水彩画に描かれている ぼくの肖像を
ぼく が掴もうとして

  ぼくの頬に猫の髭みたいな線が走っていた
絵筆を置いた彼女は顔を画用紙の中のべたべたのぼくに近付けてくる
ぺろぺろ舐められる、と思ったが彼女の顔は紙の手前で止まった
描かれたばかりのぼくの髭一本一本のはね具合を目を細めて点検してる
彼女 ぼくの体を絵の具で作ってくれてるのだからぼくの「親」という訳だけど
その割に余りに扱いが手荒 ちょっとアタマきちゃうな
すぐぼくの顔色混ぜっかえすわ、いらない髭はつけるわ
まあ彼女はぼくの「親」ってより「創造主」か 横暴なのも仕方ないかも
退屈だ、よし、紙の表面から糸で操るように
ぴくぴく 生きているぼくの頬を引きつらせてやろう
わあい ミシンの縫目が踊ってるみたい
  水彩で描かれた縦長の目の中で黒い三角の瞳が転がってる
そのジグザグの軌跡に従ってこちらの頬の肉が吸いつかれていく感じ
みみず腫れがデザインされてしまうじゃないか
ぼくのコピーのくせして何だかぼくをバカにしてるような顔つきしてんな
偉そうに髭なんかピンピンはね上げやがって
ああでもこれ彼女が悩んだ末わざわざ書き加えたんだよね
彼女の目を通してぼくは見たこともない姿に変換されつつある
画用紙の中のあれが ぼくのほんとの姿なのかもしれない
ぼくの頭から足の爪先までを突き刺すように眺め渡す彼女
その視線にぷすぷす刺し貫かれていくと全身の細胞がカッと燃えてくる
熱の快さに 刺してくれ、もっともっと! 瞼を閉じてしまう
彼女を通過した画用紙の中のぼくがこのぼくより色鮮やかなのは当然なのだ
それにしてもあいつ、画用紙の中のぼくの にやにや笑いの歯車
皮膚を痒みの奥深くに巻込んでいく
指を血まみれにしてもいい、目の中のあの黒い三角を引っ張り出せ
「だめ さわっちゃ」
  絵筆に追い立てられ生きているぼくはすばやくポーズの中に逃げ込む
ポーズの中から勝手に出るな、と彼女は生きているぼくを睨みつける
かわいそうな生きているぼく! 人ごとながら同情しちゃうね
ぼくが画用紙の中から出られたら彼女をブッ飛ばしてやってもいいんだが
空中に咲く花 のように細くくびれた彼女の首は
目にも止まらぬ速さで回転しながら
穴ぼこチーズに近い身体の夢を思い描く
あの首が空中に切ってみせるカーブの歪み加減により
ぼくの姿が画用紙の上に定着していくんだね
ふと 彼女は絞られた絵の具のチューブに感応し
「実験だからね」って(何とか我慢しろよ)
生きているぼくの胸を右手と左手で挟んで圧迫する
顔真っ赤にして四本しかない足バタつかせ
端っこの破れた薄っぺらな羽を広げ
バッタのように黒い体液を吐いてしまうその表情が
「とても素敵」 生きているぼくの耳に熱い息を吹きかけ
ナイフ型の葉をわさわささせてまた作業にかかる
  彼女に「訓練」を受けて以来耳が性感帯になっちゃってね
少々痛めつけられても懐柔させられてしまうのが情けない
出会い頭にひゅっと手首を掴みにくるのが彼女の癖だ
手をつなぐんじゃない
跡がつくほど強く手首を掴んだまま歩くのが常
今日も「風景描くの飽きちゃったしあなたを描いてあげるわ」と言われ
手首を掴まれたまま彼女の部屋にやって来た
掴まれた部分のヒリヒリが妙に気持ちいい それにも増して
彼女が書き進めるぼくの肖像がヒリヒリ網膜を焼いてくれて気持ちいい
ちらっと振り向いた彼女に 寄生するものが目に止まる
黒縁のメガネ これを定点に
画用紙の中のぼくにもっと熱を生産させよう
ぼくは彼女を通じてできる「ぼく」が何より好きなんだ
彼女にうまいこと働きかけて画用紙の中のぼくを
より「彼女らしく」すればいい
彼女のメガネの辺りに精神を集中させ うーっ
ぼくのサイン感じ取ったか? うーっ
はっ レンズが彼女の眼球のぐりぐり運動を開始させる
フレームが波打ち同心円上に磁力を及ぼして
アトリエを構成する垂線もユラユラ
ぼくの全身が発する光の粒子群を
イソギンチャクのように一瞬触手をみせたメガネの二つの口が
大きく吸い込み ぺっとパレットに吐き出す
ポーッと画用紙に向かって昇天し
ぺちゃと表面の水分に溶け
もう何だかわからない自分の輪郭の匂いを嗅いでいる
  プシューッ 部屋が爆発?
違う 彼女がオレンジ色の花粉を爆発したのだ
超高音域のワルツにうねって螺旋を巻く
近づくと目も開けられない
甘すぎる匂いの束に縛られてしまった生きているぼくの胴体
ほとんど床と平行だ
彼女の根株の辺りに密生している蔓が
宙に持ち上げられた生きているぼくの口をこじ開け
花粉の味を試させようとしている
でも そりゃもう 弾丸だよ
キリキリ舞いしながら耳や鼻の穴にまでねじ込もうとするんだから
わっ 花粉の飛礫が! いったいなあ
生きているぼく、そんなことされて平気なの?
とにかく画用紙の表面から筆を洗う水を入れた牛乳壜に飛び込んで避難しよう
いく筋もの色つきの線になって右回りの水の中を
ちぎれたりくっついたりして様子を窺う
真新しい住居 ぼくで濁ってる ぼくだけで
混濁した 水 入れ替えた直後だったので他には誰もいない
あんまりきれいな一周遅れのぼくの足噛み切っちゃう
揺らめく 尖った彼女の鼻の下
よくも生きているぼくをいじめてくれたな 気に食わない
あの突起を吹き飛ばせ、と左回りに逆行
強い光の粒子を密に集め
(見てくれは悪いけど)レーザー銃をかまえたスパイをこしらえる
彼が照準を合わせる十字 に ドキドキ
ぱっくり割れた胸に生きているぼくの手をはさみ
ぐしゃっと押し潰そうと企む彼女が
中心! 息を飲んだ瞬間
あっと言う間に渦の中に巻き込まれてしまい
白濁色がカメラに収められるばかり―
  デフォルメされた頭の形が
冷たい床の上でぼっと赤く燃えている
もし手をかざしでもすれば火傷だぞ、なんて
機械仕掛けのピラニアみたいに鋭い歯をガチガチ言わせて
画用紙の中のぼくが警告 親切だね
ソーセージの代わりに指でも齧らせようかと立ち上がったところ
腕を組み画用紙をじっと見つめていた彼女
「よし 思いっきりかわいくしちゃお」
やにわに画用紙の中のぼくの柔らかい顎を三日月型に伸ばし
筆の先にべったり塗った黒で首にすぽんと穴をあけた
とうとう完成しちゃった
画用紙の中のぼくの奴 自分の全体像を知りたくて
一つしかない目をグルグル回しても回しても
思い思いの方角に出しゃばった半島また半島
歪んだ線を自ら愛撫するばかりのカーブ
ぷへっ 画用紙の中のぼくの奴め、自分の姿に気持ち悪くなってやがる
かわいい奴 見つめていると体中の細胞にぼっと火がつきそうだ
熱い 気持ちいい
こいつさえいればぼくはもう彼女なしでも大丈夫かもしれない
  ぷっと吹き出した 生きているぼくが
頭上で両手を合わせ規則的に絶叫しながら
前後へ上下へ折れ曲がり始めた
メデューサのように全ての花弁や蔓を
うねうね動かしながら彼女が近づいてくる
「熱いうちに。お砂糖いらないわね」
するするっと生きているぼくの首を捕らえ引き寄せて
ボコボコたぎる黒い液体を口の中に流し込む
その香りに潜む酸味
嗅いでしまったぼくは次第に酔っ払っていく
乾き始めていた絵の具が再び滲み出して
前にも増して笑った表情になっているらしい
生きているぼくが気づいて笑いかけてくるんだ
「あら 今日は機嫌が良さそう」
強靭な彼女の蔓に肉体をぷすぷす刺し貫かれながら
懸命に足を伸ばしてぼくに触れてこようとする
ほら もう少し
だからぼくも一層笑った顔になって
耳まで裂けた口で親指からガチガチ噛み砕いてやろうと思うのだ が
スカッ 足は紙の表面ではね返された中へは入って来られないの か




Qの日



今日は誰が入ってくるんだろう
濃さの異なる影を二方向に分泌していく部屋の四隅の一つに
凝視されながら考えていた
影は生まれ出た空間を壁づたいにひくひく嗅ぐようにして這い
壁の中央に近づくにつれ失速し床に落ちて消えてしまう
部屋の意志のままに編成される 影 という微生物
ぼくの体からは発生しない ぼくは
おもむろに攻撃本能を与えられては小さな昆虫を相手にする
透けるようなヒト型のゼリー にすぎないからだ
不意に ぼくのざらざらした舌が伸びる
獲物を探知したのだ
窓ガラスを突き抜け庭のクヌギの木にしがみつくコガネムシを
シュッと引き剥がしクルクルッと巻き込んで
口の中へ
うん 我ながら感心する早業だ
もがくコガネムシをキャンディみたいに舐めて溶かす
鋭い足先が粘膜に当たって痛いけど歯がないので噛み殺せないんだ
おっ
少女Qが
上半身程の大きさの本を抱えて
カチャ ドアを開けて入ってきた
レモンが絞られる瞬間の芳香が立ち昇る
にわかに 明るい室内を満たしていた黴の胞子たちが活気づき
天井で体を折り曲げて休んでいたシャンデリアを細かく震わせる
余りに少女らし過ぎて覚えられそうにない顔を
少女Qはボールのようにドリブル
鮮やかな半弧の曲線を描いて
ソファーの上に落ち着いたかな と思うと
大きなあくびの裂目をパックリ
ぼくは巻尺状に舌を繰り出し天井に打ってある釘に引っかけると
(もう口の中のコガネムシの羽の中央は丸く溶け
神経も侵食されてるから飛んでったりしない)
高い壁を波打つように這って登っていった
少女Qをカッチリ捉えられる位置だ
ゴム製かな あの皮膚 変な光沢もあり
手首まで丸々して太さに余り変化のない手が本を
いちページめくった!
するとその手はソファーに絡みついているもう片方の手を探すかのように
ブルブル痙攣
関節も何もあったもんじゃない
首を激しく左右に振りながら
腕を付け根からブォルン弾みをつけて伸び縮みさせるみたいなの
あぐっあぐっ 苦しそうにうめく少女Qと対照的に
着ているノースリーブの黄色いワンピースが
薄い生地を踊らせ笑い声を表現してみせる
ビックリ箱が飛び出す勢いで部屋の沈黙を切り裂く黄色
ソファーのクッション お尻を飲み込みたそうで
膝小僧が顎の高さにある
鋭い角度で組んだ足 テーブルの端に踵が乗っかっている
少女Qの膝小僧ってテニスボールみたいに丸いんだね
ここを中心に上部と下部がバラバラに動くらしい
液体を注入して膨らませた感じ 膝の頂点が突き出ていて
ただ骨っていう心棒の形のせいで両側がぺこんと凹んでる
ところで部屋の隅のピアノの脇に
重たそうな三角定規が立てかけてあるけれど
組んだ足の角度とぴったり
部屋が 少女Qが入ってきた時既にそのポーズまで考えてたんだ
もっと良く観察するために少女Qの真上まで波打ってみよう
カタツムリのように目を伸ばし(ぼくはこんなこともできるのか)
少女Qが顔をそむけながら読んでいる本を覗く
蟻の死骸を並べたような横書きの文字
文字に取り囲まれているのは 煌く蝶のヌード写真だ
じっと見つめると目玉が乾いてきて涙が滲むので
数センチ後退し 再び観察を始める
(口の中のコガネムシ 羽の側は舐めてすべすべにしたけど
足がある側はまだちくちく・ざらざらするなあ)
ぼやけた視界の奥から晴れてくる蝶たち
熱帯の十二色の舌に舐めつくされた闇より
飛び立った瞬間に後から網で掬われてしまい
平面の中に静止させられました という身上話が
羽の斑点を結ぶ見えない点線によって星座のように語られている
目を一層近づけた時
実は生きているんじゃないか
触覚の先に微かな震えを見た…
にわかに文字の配列が崩れ一語一語が蟻となって動き回る
いつも驚いている蝶の大きな目 口から紡ぎ出される渦巻模様の上に
顎だけでできている頭がぞろぞろ集まってきても
写真から逃げられない!
蟻たちの腹のくびれの形が絶えず焼きつけられるカラー写真の痙攣が
少女Qにも伝わり
凹んだテニスボールの膝小僧にビクンと力が入って
ビクンと抜けた
蟻たちはみるまに本から溢れ出し
少女Qのまるまるした手首にまず一匹渡ってくる
肘が空中にバラバラッと散る
本、投げ出しちゃった
続く十数匹は既に節くれのない指に絡まり少女Qの腋へ向かっている
ぼくはまた少し後退し蟻の散らばりようをじっと観察する
(コガネムシはだいぶ溶けてきて舌で触れても頭と尻の区別もつかない)
羽や触覚を食い飽きて蟻たちは少女Qの足指から首筋まで
尖った尻と尻を突き合わせ登っていく
そのもぞもぞした流れが
好き
螺旋状の動くネックレス
長く長くもなれるぼくの首にかけたら
きっと いつ果てるともないぼくの生涯最高の美しさを記録する
少女Qは黒々した塊がむくんだ唇に及ぶと
ソファーに仰向けに転がってしまった
黄色いワンピースに染み透った汗が
震える腹部の中央にある浅い穴と
未発達な胸の丘にボタンを縫いつけたような乳首の
ほぼ完全な円形ぶりをぼくに見せてくれた
甘い匂いなんかさせてるから、と今更気がついた
黴の胞子の運動が激しくなりシャンデリアを揺さぶる
シャラシャラ鳴る音が少女Qのうめき声を包み込み
少女Qの心臓に届くたびに
少女Qは甘い四肢をシャンデリアの方へ突き立てていた
部屋が興奮してきたな
ぼくは目を引っ込め 天井にぴたりと密着した
(口の中のコガネムシはもううすーい 舌に力を入れるとパリッと割れそうだ)
部屋の四隅から影が呼び寄せられる 生まれて間もない
何も知らない彼らは部屋から一定の感情を与えられたようだった
幾羽ものフラミンゴの翼の形をとって
代わる代わる少女Qの顔を撫でていく すると
少女Qの顔の筋肉は糸に引かれるみたいに
鼻の中心に向かってくしゃっと収縮していくのだ
部屋のお気に入りの儀式の仕方だ
ぼくがコガネムシを舐め終える頃
少女Qがバネのように首を揺らした のをきっかけに
蟻たちは一斉に顎を剥き出して少女Qの息の根を止めていた
ぬるぬる壁をつたって降りてきたぼくの目の前で
影が散々になっていく
もう夕方なのだろう…
ぼくも次第に下半身から溶けていく
ソファーの上で膝を突き立てたまま硬直していく少女Qの姿が
眠気の差してきたぼくの素材の表面にしばらくうつるんだな
床に流れ出しながらぼくは泡を吐くように考え続けた
せめて味覚位あったら
他の獲物からコガネムシを判別できるのに
部屋はぼくには無頓着なんだから ね



クールミントの3分間



「はい 手出して」
彼女に命ぜられるままに掌を差し出すと深緑色の小さな長方形が
チューイングガムだ、クールミントの
ぼくの掌の中の長方形の中のそのまた長方形の中で
氷山に乗ったペンギンが夜空を眺めている
その夜空を ぼくは見上げることができなくて覗き込む格好になる
わぁ ペンギンの白いお腹とまるで同じ白さの氷
こんな氷でもちゃんと冷たいのかな、気持ちいいかい・・・
・・・おっと今はペンギンとこれ以上関係を深める訳にはいかない
5時に映画が始まる、映画館まで歩いて7分、5分前に席に着くとして
約30分の時間をこの公園で彼女とともに潰している最中、なのだ
正確にはあと27分32秒か
彼女の歩幅を計算に入れると20〜30秒の誤差が出るな ま、いっか
いち、に、さん、で(なるべく何でも一緒にやろう)
二人同じ速さで包み紙を剥いた(やっぱり誤差が出ちゃうけど)
包み紙より少し淡いグリーンの裸身が現れる
「ね ソレぼくの口に入れてよ ぼくも君の口に入れてあげるからさ」
(おいおい 提案なんてしてんの) こっくり頷かれちゃった
どうしよう でもためらってる暇ない
じゃあにっこりして口の位置確かめて目つむって

クールミント、クールミント
キリッと辛口 クールミントの世界が口いっぱい広がっていった
おやっ 視界の隅っこにガムと同じグリーンが染み出してる おおっ
グリーンの奴 スーッ 細い一本の流れになり視界の中心に直進してきた
スーッ 音もなく円の形に広がっていく まるでフィルターがかけられるように
ぼんやり注意を向け直すとこのグリーンのフィルターは一旦消滅し
また視界の隅っこから泳ぎ直しては中心からスーッと広がる
注意を向けられたものの表情を塗り変えていく
口開けて息吸い込むと
陽を浴びて赤茶けた遠くの高層ビルの群も
いきなりグリーンのフィルターかぶってスーッと冷やっこい
ガムの香気が口の外にもクールミントの世界を発生させたんだ
みんなにじろじろ眺め尽くされた結果生き物じみてしまったビルを瞬時に窒息させ
清浄な静物として生まれ変わらす
手際がいい スーッ 移動に時間なんてかからない
手では触れられないクールミントの世界が確かに 立っている
ぼくはそのクールミントの世界に確かに 寄りかかっている

ところで
クールミントの世界が出現したのはぼくの歯がガムに働きかけたからだが
噛まれている当のガムはどんな形態を取っているのだろう
吐き出された後のものじゃ意味がない
噛まれている、クールミントの世界を発し続けている〈今〉の姿じゃないと
それは 知ってはいけないのかもしれないけれど だけど

「ねえ ぼくたちが噛んでいるガム 今どんな形をしてるのかなあ」
「え?」「いや 何でもない」

訳わからずこちら向いてにこっとした彼女
その顎は絶えず動きその不均等気味の歯並びでガムを押し潰し
ぼくが味わっているのと同じクールミントの世界を味わってるはず
その発信源の姿を知りたいな
変化する理由を直接聞き出すことはできないにしてもガムの動きを目にすれば
自ずとクールミントの世界を発信し続けている意図が掴めるんじゃないか
彼女の手に手を重ね ぎゅっと握り締めた
「なーに?」という声にはもう 応えない
彼女の小さな口蓋の内側で刻々変わっていくガムの形態
それを透視することは」できないのだろうか
うーん 彼女の不透明なタンパク質分とカルシウム分が邪魔をする
ちょっと無理かな
4時半前の公園のあるベンチで
二個のガムが互い」の容貌を全く知らないまま
同じグリーンのフィルターを発し
例えばあの通りがかった猫なんかぼくの目の前で冷凍保存させている
冷凍保存させてるのに気がつかないで走り過ぎていくのだが
猫にはもう生き物のじゃなくて清浄な静物の表情が塗り込められているのだ
二個のガムはそれぞれ
隕石のようにも見えるしアメーバーのようにも見える、だろうけど
「ように」見えたって仕方ない形を次々生み出していくことによって
クールミントの世界を発信させていく
形態AとBから
形態A'とB’への
二個のガムの綱渡り
その姿を純粋に取り出して観察することはどうやら不可能なようだが
「すごいね みんなクールミントの世界の中で冷たそうな顔一つしない」
彼女に話しかけたら え?
にこにこしていた彼女は急に眉を顰めたかと思うと
顰めたか と 思うと・・・
そのまま空気に溶け込んでいくような
実際彼女のタンパク質分はピンク色に薄れていってるではないか
彼女の顔を通して向こうのビル群が透けて見えるよ
スカートから伸びていた足は舗道のアルファルトに
腕はベンチの板の細かな皹に どんどん侵食されてく
眉を顰めた表情の輪郭がまだ微かにぼくを睨んでいるかな
でもそれもおしまい オレンジのサマーセーターが直立しているだけ
代わりに 小さな淡いグリーンの塊が隣に浮かんだ
ペタンと平べったくなったりポコンと凹んだり
「何がすごいって?」
彼女の声だ ちょっと心配そうな 聞こえてくるのはグリーンの塊からだ
するとこれは・・・ガム? そうか ありがとう
彼女 ぼくに口の中のガムの形態の変化を観察させてくれてるんだ
彼女自身のタンパク質分やカルシウム分の色を消すことによってね
「彼女以前」の大昔から延々生体を構成してきた要素たちはえらい
さっき口に放り込まれたばかりの新参者のために透明になってくれるんだもん
おっと ぼくのタンパク質分・カルシウム分も
彼女のより少し濁ったピンクにひゅうっと薄れ始めた
ぼくの生体を構成する要素たちも「負けてはならじ」と思ったようだ
薄くきらっとするばかりになっていた体の輪郭 ベンチの板の間に掻き消え
口の中の伸縮するグリーンの小さな塊だけが残った
彼女のガムは今細かくて浅い凹凸を元気に生起させている(きっと奥歯だ)
ぼくのは風を受けた帆みたいにぽわっと膨らんでる(舌の先で伸ばしてるから)
ん? でもぼく顎動かしてる感覚ない
それどころか体操ってる気さえしないぞ
何かに働きかけられるがままに体を動かしてる感じ
クチュッ 気持ちいい ひょっとして
ガムを噛んでるヒト、じゃない
ヒトに噛まれてるガム、なのかぼくは
次はどんな風に体が動くんだろう その時にならないとまるでわからないな
クッチャクッチャ 思いがけない形態の体が一瞬ごとにぼくに与えられる
今度はこんなに平べったくなっちゃった 気分がスーッとする
涼しい 違う形態へ綱渡りする度に涼しくなる
よし いつも決まった形態を維持してかなきゃならないモノたちにも
この涼しさを味わわせてやろう クールミントの世界の発信だ
透明になったヒトのぼく 頑張ってガムのぼくを噛んでね
あと24分41秒 こんな姿でも映画館に入れてくれるかなあ
服脱いだら気づかれずにタダで映画観れたりして だったらラッキー
その前に彼女のガムの形態の変化を別の角度から眺めてみたい・・・
察してくれたのかヒトのぼくの奴ベンチから立ち上がってくれた
ベンチを離れふわふわ回りかける(「ねえ どこ行くつもりなの」)
ん? 急にクールミントの世界が薄まってきたぞ
やだっ 二個のガムの形態の変化が中空に浮かぶだけ、になってしまうっ


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